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農業版ワーキングホリデイ(援農)の仕組みを研究するページです

TEL. 0739-35-1199

〒646-0001 和歌山県田辺市上秋津4558-8

秋津野の里AKIZUNO 

上秋津の沿革

秋津野全景(クリックで拡大) 秋津野と呼ばれています上秋津地区は、田辺市の市街地からクルマで10分ほど。11の集落からなる旧村で、地区の総面積は12.97?。農業を主産業とする中山間地域です。主要作物はミカン・柑橘と南高梅です。上秋津地区のみかん栽培の歴史は、明治10年、山林を開拓して、数百本のキンカンを植えたのが始まりといわれています。以来、ミカン農業は非常に苦しい時を何度も経験し、地域をあげて栽培品種を増やし、現在では、温州みかん、ポンカン、はっさく、三宝柑、清見オレンジ、デコポン、バレンシアオレンジなど、80種類に及ぶ柑橘類を周年栽培し、経営の安定化をはかってきました。ただ、近年は、価格の低迷がつづき、生産者、農地共に減少傾向にあり廃園も出始めています。
 一方、市街地に近い利便性と、自然の豊かさを兼ね備えた地区として、住宅地としての人気が高まっています。平成の初めに約600戸だった住宅は、現在1150戸に急増しました。当初は新住民と旧住民との間で生活習慣や文化の違いからトラブルが続出したが、地域をあげコミュニティーづくりを重ねてきた結果、現在はほとんどトラブルも聞こえなくなりました。人口の増加は悪いことではありませんが、新住民のほとんどは非農家の勤労者であるため、従来、農業地域として住民による自律的な地域づくりに取り組んできた上秋津地区では、このことから、地域づくりに新たな方向性を探るようになってきました。
 平成6年には地域の全組織を網羅した地域づくり団体『秋津野塾』を誕生させ、より活発な地域づくりがスタートしました。コミュニティーづくりや地域活性化の活動が続ける中、1996年には農林省の地域づくり表彰事業(豊かなむらづくり表彰事業)で天皇杯の栄冠に輝いた。地域づくりの天皇杯は、近畿地方においては今日まで上秋津地域だけであります。


地域づくりの持続する秋津野

 秋津野の地域づくりの大きな特徴は、秋津野塾を中心としたコミュニティーづくり活動と、その後、誕生した秋津野直売所『きてら』、都市と農村の交流施設『秋津野ガルテン』のソーシャルビジネスの両輪で地域づくりはすすめられています。もちろん、活動や事業においても行政主導の活動や事業は一切無く、上秋津独自の地域づくりであり、ソーシャルビジネスにおいても、計画書づくりから資金集め・運営にかかるまで地域が主体で実施しています。
 他所では、行政主導の地域活性化事業はありますが、第三セクター方式や運営委託という、行政の手厚い保護の下すすめられるところが多い。しかし、上秋津地区では住民は自らもリスクも抱えるが"地域への未来への投資"で資金集め、運営母体の法人化をはかり、地域資源を活かした事業が行われている。知恵を出し、汗をかき、お金も出し合って地域を守っているのがこの地域の特徴であります。

地域づくりからソーシャルビジネスへ

 上秋津地区での最初のソーシャルビジネスへの取り組みが1999年5月、農産物直売所『きてら』(きてら?とは、この地方の方言で「来てね」といった意味)の設立です。
 バブル崩壊後、国内ではデフレ経済が加速し、農産物販売に於いても価格だけで勝負する量販店の台頭で卸売市場での価格決定のメカニズムも変わり、農家にお金が返ってこなくなってきました。地域にとっては、農業が地域経済を支えている現状をみても、また、農業の将来性ということを考えた時に、従来のような、農協(卸売市場経由)にすべてお任せするようなやり方では、地域経済が立ち行かんようになるという懸念が高まってきた。このことは、これまでの地域コミュニティーづくりや活性化イベント、ハード整備事業とは別の地域づくりの必要性がたかまった。今後は、新しい農業のやり方を考える必要があるだろうと、地域づくりの考えから農産物直売所をつくることになりました。
 生産した農産物に自分たちで値段をつけて、直接消費者の皆さんに買ってもらおう、お年寄りの生き甲斐の場を提供しよう、考える農家(挑戦する農家)を育成しようと、それまでの地域づくりに共感した住民31名が、それぞれ10万円ずつ出資して、10坪の中古のプレハブで農産物直売所『きてら』をつくりました。
 この時の出資には、農業者以外にも、商業者、サラリーマンと、さまざまな職業の人が参加した。だが、経営はなかなか軌道に乗りませんでした。しかし、この時も私たちは、みんなで打開策を考え、柑橘類を始め、農家がつくった味噌や梅干しなど、上秋津地区の特産物を詰め合わせた〈きてらセット〉をつくり、今までに来てくれたお客さん、または各農家さんが付き合いのあった全国のお客さんに向けて案内を出したり、さらに、地元のテレビや新聞に取り上げて頂き、地域の様子なども含め、広く情報発信を行い、当時200セットでありましたが完売し、直売所倒産の危機から救いました。
 3年後には『きてら』の年間売上は4500万円になりました。プレハブの10坪の店舗に限界を感じ新しく移転計画をたてることとなりました。
さらに2003年には、地元から新たに32名、さらに地域外から20名の出資者が加わり、売り場面積を2倍にした店舗を新築オープンさせました。またこの時、農産物加工施設として「きてら工房」も併設。地域の女性グループによる、地域の作物を使った加工品の開発・販売もスタートしました。

農業の課題解決もソーシャルビジネスで

 新しい直売所が軌道にのる中、2004年には、農工商の連携事業として、ジュース工場建設計画が持ち上がりました。この計画を実行するのに、直売所『きてら』で銀行からの借り入れで工場建設も考えましたが、せっかく、直売所の移転を果たし、経営も軌道に乗りかけているときに、大きな借入をし、もし、ジュース工場が失敗することにもなれば、直売所も共倒れの危険性が高いと判断しました。
 ジュース工場建設に向け、地元住民を中心に31名が50万円ずつ、新たにお金を出しあいました。自分たちでミカンの加工・販売すれば、結果的にこれまで、捨てていた同然のミカンを、商品に変えられることにより、農家の経済や地域経済波及効果(雇用も含め)にもつながります。しかし、その道のりは非常に厳しいモノでありました。誰もがジュースづくりをしたことが無く、製造方法・行程や衛生管理、製品販売と次々と課題が持ち上がってきました。しかしながら倶楽部員たちは、ここでも、知恵を出し、汗を流し、この難局を乗り越えました。
 なぜ、ジュース工場が必要だったのか、それは、ミカン栽培においては市場に出荷出来ないミカンが収穫量の約2割程度、毎年出てきます。それを、これまでは永遠と1キロあたり3〜5円で農協組織が集め加工されていました。農家の経営にはマイナスでありました。このことは、過去からの大きな課題であり、農家や後継者が安心してミカン経営を続けられる環境整備が必要であり、小さなジュース工場とはいえ、ソーシャルビジネスの手法で工場を立ち上げ稼働出来たことで、農家にはミカンジュース原料代としてキロあたり50円〜70円が支払いできています。今後、ミカン農家の経営上、大きなメリットがあります。

法人化で経営責任の明確化と経営判断のスピード化

 2006年には直売所『きてら』の売上げが1億円を突破、それまでのみなし法人のままでの経営には不安があり、取引上の事故や倒産ということがひとたび起これば、無限責任のままの経営体では、ソーシャルビジネスとはいえ、地域に大きな影響がでます。
 そこで、法人化に向け検討をし、最終的には、株式会社化を選択しました。法人化に向け、NPO法人、農業組合法人、農業生産法人、財団法人、株式会社等を検討する中で、住民誰もが参加(出資)が出来、経営責任が明確になり、スピーディーな経営判断ができ、新たな事業にも挑戦がしやすく、将来的に余剰金が発生すれば、新たな地域づくりのための再投資も可能になります。また、大きなリスクを抱え、出資して頂いています地域住民のみなんさんに、地域づくりの恵みが返せることができる株式会社を選択いたしました。
 今世紀に入り、社会課題解決のためのソーシャルビジネスの経営体として、利益追求型ではない株式会社は、行政や国民からも認知され、交付金や補助金などの公的資金の投入も積極的に行われるようになってきました。

ソーシャルビジネスの経営統合

 2010年には、農業法人株式会社きてらと『俺ん家ジュース倶楽部』との、資本・経営統合を実現させ、さらに、地域内で増資を募り、ジュース工場を新設して、規模を拡大させた。また、2つのソーシャルビジネスの経営統合は、新しい事業への挑戦へとつながった。それは、都市と農村の交流施設『秋津野ガルテン』(2008年に交流で地域活性化を目指した住民出資の新たなソーシャルビジネス)内に、地元柑橘類を使った新商品開発と、農業体験の一環として柑橘を使用したお菓子づくりを体験できる『お菓子体験工房バレンシア畑』をオープンさせた。
ようやく国の方も農業の政策転換の一環として、農業法人化、六次産業化にむけ、交付金・補助金制度も拡充され、ジュース工場新築時には農林水産省からのすすめもあり、小さな金額でありましたが補助金制度も利用しました。しかし、基本的には住民の出資が基本であります。

秋津野マスタープランづくり

 またこの間、秋津野塾を中心とする住民らは、さらに大きな仕事に取り組んでいた。それは、上秋津地区のマスタープランづくりです。
 2000年からスタートしたこの事業では、上秋津地区全世帯を対象にアンケート調査を行い、さらに、ヒヤリングなども実施したうえで、これらを集計分析。丸2年をかけて計画書をつくりました。さらに、この計画内容の背景と目的が、すべての住民にわかりやすく伝わるよう、『秋津野塾未来への挑戦?田辺市上秋津と地域づくり?』なる、物語風の一冊の本にまとめ地区の全世帯に配付をしました。また、インターネットでも全国に公開いたしました。
こうして、まとまったマスタープランを田辺市に説明し、これが住民の描く上秋津地区の将来の姿だと提案をいたしました。私たちの地域づくりは、決して、行政に背を向けているわけではありません。ずっと協働でやってきました。大切なのは、住民と行政が同じくらいの力を持っていないと、協働は実現できません。だから住民も行政に対してはっきり考えを伝える。逆に行政も、住民らに提案をしてくる。そうして初めて、連携、協働ができるようになってきました。様々な地域づくりやソーシャルビジネスを通じて、行政との新しい関係の構築も同時にすすめてまいりました。

廃校舎校舎利用を行政に...

この「マスタープラン」をまとめている最中、上秋津小学校が、2006年に移転・新築されることが決まりました。当初、田辺市では老朽化した旧校舎は取り壊して更地にし、土地は民間に売ることを考えていた。だが「マスタープラン」をつくる過程で住民の意見を取りまとめるうちに、校舎を地域の拠点として残したいという意向が強いことがわかりました。そこで、住民が主体となって、木造校舎を保存・活用するという提案を、「マスタープラン」に盛り込み、これを田辺市に「提案」しましたが、いくら保存したくとも先立つものがない。いい返事は頂けなかった。



校舎活用検討委員会の発足

 秋津野塾では2003年、秋津野塾(地域住民)に加え、和歌山大学の教員や、他地域で先行事例に取り組むグループのリーダーらを招いて、40人ほどの「校舎活用検討委員会」を組織。約1年かけて、保存にかかる費用試算を含め、活用するための方法を検討した。その中で、木造校舎を拠点とする「秋津野ガルテン」という事業の構想がつくられてきました。当時の増田総務大臣も廃校となった旧上秋津小学校に足を運んで頂き、住民主体でまとめ上げた、廃校舎活用計画をヒヤリングして頂き、熱い激励と応援も頂きました。
 本来なら、行政が中心的な役割を果たさなければならない、廃校跡地の活用や地域活性化計画であるが、上秋津では、地域住民主体で『地域資源を活かした都市と農村の交流事業』の計画書をまとめ上げ。田辺市との度重なる交渉の結果、田辺市議会の承認を得て、この校舎と土地は、約1億円で、上秋津地域(当時の社団法人上秋津愛郷会)への売却が認められました。
 そして、この都市と農村の交流施設『秋津野ガルテン』の建築整備と運営会社として、2007年6月と9月に、地域住民489名が出資、資本金は4180万円のソーシャルビジネスビジネスで事業を行う、農業法人株式会社秋津野を設立いたしました。
 校舎・跡地は、田辺市議会の決定通り社団法人上秋津愛郷会(2012年からは公益社団法人上秋津愛郷会)が田辺市より買取り、農業法人株式会社秋津野として借り受け事業がスタートしています。
※「愛郷会」とは、1957年に設立した組織で、その前年、当時の上秋津村の近隣6村が合併し、牟婁町となった際、旧上秋津村有財産を管理し公共のための有効活用を行うことを目的に設立。以来、財産の管理・運営を行いながら、住民主導の地域づくりを支える財源として機能しています。

住民が起ち上げた運営会社に国・県・市が支援

 今回の事業(廃校舎活用)は、田辺市立上秋津小学校旧校舎の改修や、校庭に新たに設ける農家レストラン・宿泊設備の新築などの事業は規模も大きく、農林水産省の農山漁村活性化プロジェクト支援交付金事業を利用することとなり、運営主体を研究するなかで、農業生産法人、農事組合法人、社・財団法人、NPO法人、株式会社の中から、農林水産省・県・市との協議の結果、運営体は株式会社(農業法人)がもっとも適しているという結論に達した。
 この事業に関しては、別途、県、市も農業法人株式会社秋津野に対して、整備事業に対して補助を決定。このように、国や県や市においても、利益優先ではない地域課題解決といった、非常に公益性の高いソーシャルビジネスにおいては、法人格の違いがあっても交付金・補助金などの公的な資金も拠出の対象となった。

都市と農村の交流施設『秋津野ガルテン』の目的と事業

 上秋津地域の農村が持つ自然環境・景観・文化など多様な地域資源を有効に活用し、都市住民のグリーン・ツーリズムなど農業体験の拠点、子どもたちの食育の場及び、団塊の世代等の田舎暮らしの受入等を目的とした長期滞在型拠点として、交流施設や宿泊施設を整備し、上秋津地区での農村と都市住民との交流を深めることにより、入り込み客数の増加を促進するなかで、農産物の地産地消の推進及び販路拡大を図り、将来的にも持続可能な農業形態を確立し、農をテーマとした交流活動により地域経済の活性化を図る。



□農家レストラン

レストラン食材は、主に、地元直売所や廃園や放任園を復活させた野菜畑から農家レストランへ食材の供給行っている。また事業計画では年間9100名の来客予定であったが、オープン時から、年間40,000名以上の来客があり、都市住民と農村との出会いの場につながっている。地域経済においても大きな経済効果を上げています。
地域雇用においても女性を中心に、多くの雇用を生み出している。地場産食材の利用で農業の活性化、社会的課題である廃園復活、そして地域雇用の確保といったことも事業として成り立たせています。
また、同窓会利用や法事後などの仕上げの食事や地域団体などの利用も増えてきており、地域内利用での地域経済循環にもつながっています。

□宿泊施設

宿泊のキャパシティーは32名と低いが、一日でも上秋津に泊まって頂くことにより、農村・農業の理解に進み出しています。年間宿泊数は2200名程度で推移しています。
夏休み、春休みには、若い家族連れが宿泊を頂いており、農業・農村の出会いや体験を行っています。また教育旅行等の受入も行い、農村の暮らしや、農業の体験なども行っています。その他、平成21年に発足した秋津野民泊の会とも連携をはかり、宿泊、交流をすすめるなかで、秋津野の里の農業の理解につながっています。
当社が主催する地域づくり学校や、様々な地域づくり研究・学習など、全国からこの地で学ぶ宿泊施設としても大きな役目を果たすようになってきております。

□人材育成事業

ここ上秋津では古くから地域づくりが盛んで、多くの方や団体がその手法や知見を学ぼうと視察に訪れるようになってきました。秋津野ガルテンがオープン以来、毎年、2000名以上の地域づくり関係者が、視察や講演を聞きに訪れるようになってきました。「地域が人を育て、人が地域をつくる」といった私たちの一環とした考えを、平成20年からの3カ年、経済産業省の人材創出移転事業「秋津野地域づくり学校」を引き受け、全国から地域づくり関係者が訪れ、秋津野の地域づくりを学びました。また、平成23年からは田辺市の地域づくり人材育成事業「紀州熊野地域づくり学校」も行われています。

□農業体験・加工体験

一年間、みかんの実る里での農業体験や農産物加工体験にも年間2000名以上の方が訪れようになってきた。とりわけミカン収穫体験やジャムづくり体験も人気であり、平成22年には、直売所『きてら』と連携事業で秋津野ガルテン内に、地元産の柑橘を使用した加工体験や、スイーツ、ジャムの販売を目的とした、お菓子体験工房バレンシア畑をオープンさせている。

□市民農園・農園部

農村地帯で大きな問題になっています、廃園・放任園の再整備で、小区画の農園を貸し出す市民農園の開設。また野菜の生産・販売も行っています。また、ミカンの廃園を加工専用の柑橘畑に復活させ、将来はその柑橘を使い、俺ん家ジュース倶楽部やお菓子体験工房バレンシア畑との連携であらたな加工品開発につなげていきたいと考えています。すでに50アールあまりの畑を復活させ苗木を植え付けています。
その他にも地域農業の課題を解決するための事業として、農業者育成、ミカンのオーナー制度など新たなミカンの流通にも挑戦しています。

バナースペース

株式会社秋津野

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FAX 0739-35-1192

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